“デヴィッド・ボウイ”
彼のルックスにとても魅かれていました✨
単なる男前に留まらず、妖艶で中性的でミステリアス…
海外でも人気が出ている日本の“ビジュアル系”アーティストらも、元を辿ればボウイ達がそのルーツとなるのではないでしょうか☝
世界中に数多いたビッグスターの中でも、デヴィッド・ボウイは別格の存在だった様に思います。
しかも大の親日家であったという…
新婚旅行の地も日本を選んだそうな😂
1980年当時、人気絶頂だったにも拘わらず本気で京都に移住をしようと考え、物件探しまでしていたとの噂もありました😲
結局、実現はしなかったのでしょうか…
別荘は山科にあったなんて話もありますがねぇ…😏
彼がテレビコマーシャルに出演したのも日本が一番最初!
宝酒造の“純”という焼酎のCMでした☝
それはそれはおしゃれな映像で、焼酎のそれまでの“労働者が呑む酒”といったイメージをガラッと覆し今に至らしめたのはこのCMがきっかけであったとされているのです😉
ボウイが自ら作曲したCM曲、“クリスタル・ジャパン”も幻想的な名曲でした。
ボーカリストのイメージが強いボウイでしたが、この曲はインストゥルメンタルで、当時シングル盤を買ってフルで聴いても歌が出て来ない事にビックリしたのを覚えています😲
海外のミュージシャンが日本をイメージして曲を作ると、何やら中華風の旋律になったりしてロクな事にならないものなんですが、この曲は違います。 流石です😊👍
当初はお忍びで来日し、嵐山や正伝寺で数日に渡ってCM撮影を行ない、帰国前に東京で記者会見を開いたのですが、その席で記者に普段どんな音楽を聴いているのか?と質問をされ、複数のアーティストの名前を出した後、「日本の“P-MODEL”のライブを観に行って非常に楽しかった」と答えた事がありました😁
1980年3月29日…かつて銀閣寺の近くにあった、“サーカス・サーカス”というライブハウスで、ボウイが京都滞在中にP-MODELがたまたまライブを演っており、それをノーアポで会場に観に行ったが為に、ボウイに気付いたメンバーや観客が超パニクったという伝説のエピソード…😱
ライブ終了後、ボウイが楽屋にメンバーを訪ねてその興奮を伝えたり、記者会見でこの事に言及するくらい、かなりPーMODELがお気に入りの様子でありましたが、あの当時の日本にそんなアーティストがいた事が何より誇らしい!🙌
P-MODELはそれ以外にも、人気パンクバンドのイギリスでのライブで、開演前の会場に彼らのレコードが流されたり、来日したフランスのミュージシャンに気に入られ、その推薦でフランス国営放送のスタッフが日本に取材に訪れたりした事もあるほどなのです👍
世界的なミュージシャンが認めるレベルのミュージシャンが我が国にもいて、それをボウイらの嗅覚がしっかり逃さなかったというワケなんですねぇ…😊
あ…そうそう、
映画“戦場のメリークリスマス”の公開前に各局で特別番組が放送され、そのゲストで来ていたボウイが、共演したビートたけしのギャグに大爆笑していた姿も忘れられないなぁ…
余程、日本と日本人が好きだったんでしょうね😊
ボウイの名を聞く度、こういった事が頭に思い浮かぶのです😌
デヴィッド・ボウイさん、どうぞ安らかに。
日本を愛してくれて本当に本当にありがとう!🙇