『おっ、いい曲やなぁ…、誰の何ていう曲だろ?』
気に入ってしまったが最後、どうしてもその音源が欲しくなりますよねぇ?
昔はそういった場合に調べる術がまるでありませんでした(-_-;)
今は検索なり視聴なり、あるいはスマホに向かって覚えているフレーズを歌ったりハミングしたりするだけでその曲の詳細が判明してしまうというアプリまで存在しちゃう恐ろしい時代になってますけど(^_^;
そんな事情でしたので、もう端から諦め、そのまま忘れ去っていった楽曲は数知れず…
いや、忘れる事が出来ずに探し続けている曲がたった1つ残ってるなぁ…(>_<)
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みなさんはプロレスはお好きでしょうか?
あまり観た事がない方に説明しますと、選手が入場する際にそれぞれのテーマ曲が会場に流されるんですね。
現在、プロ野球の試合でも同じ演出が採り入れられてますが、元々はプロレス会場で最初に行われていた事なんです。
巷でよく言われるのが、プロレステーマ曲・1977年起源説。
それ以前にも単発で、曲を流しての選手入場の例はあったようですが、この1977年から慣例化が始まり、覆面レスラーで一番人気のあったミル・マスカラスの入場時にあの“スカイハイ”が使われだしたり、その後も“イノキボンバイエ”、“スピニングトーホールド”などの後世に残る名曲が、たて続けにお目見えする事となるのです。
まあ、テーマ曲黎明期の頃はどれも、“ありもの”の曲を各選手にあてがっていただけなんですがね…
私が未だに探し続けている前述の忘れられない1曲とは、その頃に国際プロレスの会場やTV中継でよく流されていた、通称“IWA世界タッグのテーマ”。
この曲に心底惚れ込んでしまった私は、何としても詳細を知りたいという強い思いから、ある放送回での告知テロップにて放送局(東京12チャンネル)のアドレスをゲットし、例の曲について教えて欲しい旨の内容を往復ハガキにしたため、藁をも掴む思いでポストに投函したのでした。
結果、放送局から返信のハガキが送られて来る事はなく、手掛かりを掴む事もないまま、現在に至るまで片想いは続いているという訳なのです(-_-;)
テーマ曲に乗って選手が入場する事のカッコよさを知ってしまった我々ファンと、それがビジネスになると踏んだ関係者は、ありものの曲では飽き足らなくなり、翌1978年から続々と選手のオリジナルテーマ曲が作られる事となっていきます。
そんな中でも最大のヒットが、長州力のテーマ、『パワーホール』(1980年リリース)
プロレスファン以外の方でも一度は耳にした事があるのではないかと思います。
“作曲者・異母犯抄”
一体誰やねん?
長らくその正体は謎のままでした。
ところが1986年、フールズメイトという音楽雑誌のインタビュー記事で唐突にそれが明らかになります。
その正体とは…
“平沢進”
エーッ!(@_@)
どれだけ私を含む長年の平沢ファンはその事実に驚いた事か。
それまで一切情報として漏れてくる事がなかったのだから…
『あの名曲パワーホールを作ったのが平沢さんだったなんて! こんな嬉しい事あるかよ!(T-T)』
てなもんです。
その事実を知っていたであろう、平沢氏と同じP-MODELのメンバーで、熱烈なプロレスファンでもあった田井中貞利氏は、さぞかしほくそ笑んでいた事でしょう(^_-)
そして更に同じインタビュー記事には、“カルガリーハリケーンズ”のテーマ曲も作ったとの証言が…
『えっ、どの曲よ? し、知りたい!』
それだけの記述では当時の状況からその曲を探し出すのは極めて困難でした。
万策手が尽きた私がそこで思い付いたのが、やはりハガキ作戦。
ちょうどP-MODELのファンクラブの会報にQ&Aのコーナーが設けられてあったので、平沢氏が楽曲を提供しただけの可能性も考え、『平沢さん作曲・演奏?のカルガリーハリケーンズのテーマのオリジナル音源が収められたレコードのタイトルと発売元のレコード会社が知りたい!』という内容でのハガキ投函を久方振りに試みてみました。
1987年の春の頃でしたかねぇ…
結果、今度は何と見事にこの質問が採用され、後の会報に私の書いた文面そのままが質問として載り、そして平沢氏自らの回答を得る事に成功したのです!
『ハリケーンズ・バム』
“作曲/演奏・福来良夫”
こんなペンネームでこの仕事をされてました…
これじゃ、探しても分かるはずがない(笑)
平沢氏のディスコグラフィーにこの作品が公に追加されたのは実はこの時のエピソードがきっかけなのです(^^)/
こういった経緯で、幸運にも解明出来た曲と、30年以上経っても手掛かりすら掴めない曲…
何ともプロレステーマ曲の奥深さを感じずにはいられませんね(*^▽^*)