元スターリンの遠藤ミチロウ氏が現在闘病中であるとの事…
病に打ち勝ち、私達の前であの息を呑むようなライブパフォーマンスをまた再び見せて頂きたい!
今はゆっくり治療に努められ、一日も早く回復される事を祈るのみです。
ミチロウ氏がスターリンとは別に、カセットブックという新形態でソロプロジェクトを始動させた1984年当時、その存在感たるや正に飛ぶ鳥を落とす勢いの如くでした✨✨✨
そんなミチロウ氏率いるザ・スターリンと唯一渡り合ったバンドがいた…って事をご存知でしょうか?
そう、そのバンドこそ我らがP-MODELなのです❗️
この年の6月3日、横浜国立大学で行われた最初で最後のP-MODELとスターリンのジョイントライブ…
スターリンの前に登場したP-MODELに向かって観客から容赦なく浴びせられる“帰れ”コールに、
「じゃ、さよなら。」と本当にステージを降りてしまう4人のメンバー…
中断の後、何とスターリンコールよりP-MODELコールの方が大きくなり、戻って来た平沢氏が観客たちに問いかける…
「P-MODELを聴きたい人~?」
「ウォ~!」
もうこの頃にはイカつい皮ジャンパンクスとて、P-MODELが欲しくて欲しくてしょうがない気分になってたって寸法です(笑)
このライブの事で今では語り草になっているのが、ステージに押し寄せる荒ぶるパンクスたちに弾いていたベースをぶん投げて対抗したとされる、
P-MODELの二代目ベーシスト、
“菊池達也”氏のはっちゃけぶり!!!
ご本人は、別に普通に置いただけだと否定されてたりするのですが、テンションの上がり切った状況ゆえ、実際ホントの所はナゾです…
でもこの時のP-MODELの一連の行動が話題を呼び、次の新宿ロフトでのライブから驚異的に観客動員が伸びていったという記録が残っており、そういう意味ではこのライブでの菊池氏のパフォーマンスはバンドを救う、非常に有意義なコトではなかったのかな…と✨👌✨
菊池達也氏は1963年7月30日東京都港区生まれ。
P-MODELのライブに初めて登場した時は驚く事にまだ高校2年生であったという…
早熟にも中2で初めてバンドを組み、何とそのバンド名が“ハイウェイ・スター”!
いやいや、これって絶対ディープ・パープルのコピーバンドですやん笑
実際はさておき、そんな少年時代のお遊びバンドの事なんて…と侮るなかれ、一緒に組んだメンバーの中には何と現あぶらだこのドラマー、“伊藤健一”氏もいたのだそうな…😲
菊池氏がP-MODELに在籍していたのは1980年11月21日から1984年8月5日まで。
その間には、正式メンバーになる前にレコーディングが始まった“ポプリ”、正式加入後の“パースペクティブ”&“アナザーゲーム”、脱退前からレコーディングが進行していた“スキューバ”の計4作品のアルバム制作が行われており、一般的にはパースペクティブとアナザーゲームにのみ関わったとされているのですが、実はポプリに収録の“いまわし電話”ではコーラスに参加していて、ジャケ写のアウトテイクには菊池氏が写ってるモノまで残っているのです。
最後のスキューバのレコーディングにも当初は参加し、何曲かはベースパートの録音を終えていたそうなんですが、脱退が決まった為にそれらは後に平沢氏による演奏に差し替えられたとの事。
P-MODELを辞めた後の消息は今まであまり知られていませんでしたが、大学に通いながら前述の伊藤健一氏が当時組んでたバンド、“SIN”のレコードのプロデュース、そして自ら結成した、“スポッツ”というバンドでのライブ活動も行っており、地方から観に来るお客さんもいたりして結構人気を博していたらしい…😏
“SIN”のレコード(ソノシート)は現在でも東京三軒茶屋のレコードショップ、“Fujiyama”で入手可能!🙆
(数に限りあり☝️)
そういえば、遠藤ミチロウ氏が編集発行していたソノシート付マガジン、“ING'O”の幻に終わった第6号には“スポッツ”のソノシートが付く予定とのアナウンスが当時あったはず…
未確認ながらこれがその菊池氏のバンドだった可能性もあるワケなんです😱
大学卒業後音楽活動は休止し、会社勤めを経験した後に出版会社を立ち上げ、書籍や自らのレーベルからCDをリリースしたり、イベンターとして海外から“ジェームス・チャンス”らを招聘してツアーを組んだりと、正に八面六臂の大活躍!
またそれが縁でフリクションの“レック”と親交が出来、現在もそれは続いているのだそうです🍻
菊池氏の会社から出版された書籍の一部がこれ↓😉
T.REX! フリクション! ハービー山口! 鋤田正義!
スゴいメンツです😆
そんな訳で、菊池氏がP-MODELを脱退した1984年は、例のスターリンとのライブバトルがあり、レコ倫と揉めて発売延期を重ねたアナザーゲームがようやく日の目を見たり、初めてプロデュース業に携わったり、新たなバンドをスタートさせたり…と、菊池氏にとっては激動の年であったと思うのですが、
実はまだもうひとつ重要な事が…!
菊池氏が残した唯一の自作曲である、
IKARIの“LUCKY TIME”
これがリリースされたのも実はこの年なのです!💃
正確な発売日は今から35年前の2月12日。
名曲の誉れ高いこのLUCKY TIMEですが、なぜかP-MODELの集大成的CDBOXである“太陽系亞種音”にはカップリングの“NO PERSPECTIVE”共々唯一未収録…
理由は全くの不明です。
ああ残念無念…😢
いま思えば、菊池氏が在籍していた頃のP-MODELはその長い歴史の中でも一番実験的で、ピリピリしてて、程よい怖さがあって、意表を突きまくってて、メンバーそれぞれのキャラも立ってて、その全てが唯一無二な存在でした✨
私などは、初代ベーシストの秋山氏が抜けてからP-MODELを聴き出したクチですので、どうしても菊池氏に対する思い入れの方が強いワケなんです。
ホント、ルックスもステージアクションも弾いてたGrecoのベースとかも、みな超カッコよかったですからねぇ…👌
憧れましたよね😊🎶
ただ甚だ残念なのが、P-MODELがもう全くTV等に出なくなった時代のメンバーだったが故、演奏シーンの公式映像がこれっぽっちも残ってないって事😰
う~む、何とかどっかから発掘出来ないものだろうか.....
そんな菊池達也氏… いや、ご結婚時に改姓されて現在は佐久間達也氏になられてますが、準備が整ったとして2017年から遂に音楽活動を再開❕❕❕
“ナガオカダイゴロウ”(ex.Dog House Studio)氏とのユニット、
を始動させ、昨年7月と今年の1月に新作をyoutubeチャンネルに発表🎶
https://youtu.be/46569vHuNuE
今後何を目論んでいるのか…
長い眠りの末、我々に一体何を伝えようとしているのか…
しばらくその動向から目が離せない要注意人物である事は間違いないでありましょう…😉🎶
追記
遠藤ミチロウさんは、2019年4月25日に逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
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