もぎたて発☆ディストピア行

 〜よくばりな浪漫トラベラーに捧ぐ〜

フォーエバー!屋根裏

下北沢屋根裏・3月閉店


老舗ライブハウス、“屋根裏”の屋号が、これで完全に消えて無くなってしまう事になる… (T_T)


思えば私のライブハウス通いは、今は無き“渋谷屋根裏”からスタートしたのでした。

1981年の6月、“P-MODEL”という、過去から現在に至る数多の日本のアーティストの中でも、楽曲・衣装・コンセプト・アイデア・パフォーマンス等で最もクリエイティブであったと断言出来る、人気ニューウェーブバンドのライブに出掛けたのが初めての“ハコ”体験でした。

思えばあのお店、行く度に場所に迷ってしまい、開始時間によく遅れそうになったよなぁ…
方向音痴な私にはちょっと辛いものがありましたね ^^;

その頃バンドは、急なメンバーチェンジを行ってまだ日が浅かった時期でしたが、当時は今ほど情報ツールがありませんでしたので、このライブを観て初めて新メンバーがどんな人なのかが分かったような具合でした。

初めてライブを観るという事だけでも大興奮なのに、新メンバーにも会えるという特典まで付いてきた訳で、今でもその時の超ワクワク感は忘れちゃあいません (^^)

しかし、新加入の菊池達也氏、カッコ良かったよなぁ…
メンバーの中でも自分と年齢が近い分、一番親近感が湧いたし、ルックスもアクションもバンドにバッチリはまってた。

前任の秋山勝彦氏もそうでしたが、当時のバンド人気は、女の子達にキャーキャー言われていた若いイケメンのベーシストが担っており、そういう意味でも私たちにとって一番憧れ&羨む存在でしたね。
ま、他のメンバーは皆どこか近寄り難い感じでしたし(笑)

P-MODELの真髄は、秋山勝彦と菊池達也である。

そんなふうにも思ってました、当時は。
ホントにカッコ良かったもん。

この時のライブにたまらなく興奮したので、一週間後にも行われた同場所でのP-のライブに再び参戦したのですが、何とメンバー全員が髪の毛をダークグリーンに染めてきていて、すっかり意表をつかれた私は、ますますこのバンドのライブ通いに精を出すハメになったのでした。

この頃はもうメンバーチェンジと共に、音楽性もガラリと変わってしまっていて、1st・2ndアルバムからの曲だと、“偉大なる頭脳”とアレンジの全然異なる“異邦人”(後で知ったが、前身バンド、マンドレイクの頃のヴァージョンだった)位しか演奏しなかったので、そこだけはちょっと残念に思ってたなぁ…

登場時に演奏曲順を書いたメモをメンバーがマイクスタンドにはりつけてた事。
ボーカルの平沢進氏がセンターではなく左端に位置していた事。
マイクを高く伸ばし、見上げるように歌っていた事。
翌年に発表される4thアルバム用の新曲を既に何曲か演っていた事。
アンコールに3、4回応えたりした事。
ライブの音量と振動がハンパなく大きく、しばらく難聴気味になった事… etc

懐かしいなぁ。こういった事などに驚きを感じたよなぁ。
もう34年前かぁ。今でもはっきり覚えてるもん。それほどまでに若造だった私に強烈なインパクトを与えてくれた大イベントだった訳なんです (≧∇≦)b

渋谷屋根裏はとにかく狭く、アーティストが演奏を終えて、アンコールまでの間に一旦引っ込む時も、観客を分けて一般の出入り口から場外へ出ないといけませんでした。

たまたまドアの近くで観ていた私は、メンバーが外へ出た後しばらくしてから、『もう戻ってくるかな?』とドアをそっと開けてみた所、すぐ近くの階段に座ってタバコを吸いながら待機してた平沢氏と目が合ってしまい、非常に気まずい思いをした事なんかも今では懐かしい(^_-)

雑居ビルの3階か4階に店はあったと思うのですが、時間つぶしに屋上へ行く際に階段で菊池氏とすれ違ったり、当日券を買おうと店に入ったら、受付に田中靖美氏が立ってたりとかこの屋根裏では普通にありましたね。

何しろ狭かったから(笑)

でもそれがよかったんですよねー。


フォーエバー屋根裏。

楽しい思い出をありがとう。

そしていつか復活する事を夢見て m(_ _)m



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