もぎたて発☆ディストピア行

 〜よくばりな浪漫トラベラーに捧ぐ〜

ペガサスが空を駆る

ヤッターマン、また新しいのが放送されてますナ。

今回の主題歌や劇伴の担当は、歴代シリーズで超然なる作風の音楽を世に送り出した、かの“山本正之”氏とは違うようで誠に残念…(-.-)


山本正之というアーティストを世に知らしめたのは、1970年代半ばにヒット曲が続出した、一連の“コミックソング”の代表的作家であった事から。

“燃えよドラゴンズ”、“うぐいすだにミュージックホール”、“ひらけチューリップ”ときて、“タイムボカン”ですからね。

アニソンとコミックソングをクロスさせちゃった訳です (´V`)♪

私などは子供の頃から、コミックソングや企画物ディスコソング等のオモロい音楽の収集を趣味にしてましたので、タイムボカンのエンディング曲には、すぐ虜になりました(^^)

それと作者、特に作曲してる人が誰なのかが凄く気になるタチでして、同じく大好きだったアイドル歌謡の作曲者と共に、明星の歌本なんかで必ず名前を確認してましたね。

ひらけチューリップを知った時も、『この曲、うぐいすだに~を作った人と一緒や。凄い!』てな感じで、自分の中での要チェック人物として、森田公一氏や都倉俊一氏などと共に山本正之氏の名前が自然と頭にインプットされていったのです。

余談ですが、当時部屋でひらけチューリップのレコードをかけていた時に、「あんたー、何聴いてるんや!」と血相変えて母親が飛んで来た事がありました。

どうやら、同時期に流行っていた、うぐいすだに~を買って聴いてると勘違いをした様で、私も必死でレコードジャケットを掲げて潔白を証明したという笑い話があります。

後にも先にも親に睨みを利かされたのは、このうぐいすだに~とアニメのメルモちゃんだけです(笑)



かつて、“紅白歌のベストテン”という番組がありまして、旬のアーティストであればジャンルは関係なく出演させる柔軟性があり、鶴光師匠もあのねのねもミス花子もこの番組に呼ばれて、それぞれのヒット曲を披露した事がありました。

海援隊の“母に捧げるバラード”も元々は何かの歌番組のコミックソング特集の時に初めて紹介された位ですから、あの頃はホントにコミックソングというジャンルに強く光が当てられてた時代だったと思います。


そんな山本正之氏ですが、タイムボカンシリーズ終了の後、ようやく重い腰を上げライブ活動を開始。

その山本氏の初めてのライブ、“ペガサスが空を駆る”を観に行ったというのが私の自慢話のひとつなんです。 えっへん !(^^)!

1983年12月6日。場所は新宿にある、“タイニイアリス”という演劇スペース。
受付の女性スタッフも劇団員ぽいキレイな方々でした。

演劇場らしく、客席はひな壇。
満員に近かったと記憶してます。

動く山本氏を観るのは初めてでしたし、当然数々のヒット曲を演ってくれるものだと思って期待値はMAXに達してましたが、「本日のライブはアニメ曲をフルではやりません。」と宣言されてしまい、一瞬こんな(-_-;)顔になった私でした。


当日の演奏曲で覚えているのは3曲。

歌詞にプロレスという印象的なワードが入っていた為に覚えてた、“三日月メランコリー”。

アニメソングメドレー的な、“アニメがなんだ”。

例外として1曲だけフルで歌ってくれた、イタダキマンのエンディング曲、“どびびぃ~んセレナーデ”。

あとは忘れてしまいましたが、全曲ギターの弾き語りで、初めて聴く曲ばかりながら、大変楽しめたステージでした。

三日月メランコリーはアンコール時を含めて2回演奏したんじゃなかったかなぁ…。


その記念の場所、タイニイアリスが、3月末をもって、何と閉館されてしまうらしい…。 ぐっすん(T-T)



そういえば“クロマニヨンズ”のヒロトとマーシーも山本正之信者であったという (*^o^*)


32年前のあの日のライブ、
もしかしたら、彼らもあの場所にいて、スポットライトに照らされた山本氏を、食入る様に観ていたかも知れませんね (^_-)



追記

この記事をアップするに際し、大切に保管していた当時のライブパンフレットの画像を添付するつもりでしたが、見つけられませんでした。
見つかり次第、改めてアップします。



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