もぎたて発☆ディストピア行

 〜よくばりな浪漫トラベラーに捧ぐ〜

乗物図鑑誕生秘話 〜あがた森魚トークライブより〜

 

“乗物図鑑再現ライブ、渋谷にて開催!”

先日Twitterのタイムライン見てたら、こんな衝撃情報が!😲

 

そういや最近も来日したYesとか色んな大物アーティストが名盤再現ライブってのをちょいちょい演ってましたわな。
まあ何とかそれらは全部スルー出来ましたケド、今回ばかりはちょっとムリやわぁ〜💦

 

あぁ〜会場に観に行きたい…
でも地方住みには障害多し💧
ホンマ東京ばっかしズルいよなぁ…😡

 

って嘆いてたところに朗報が!
再現ライブの一週間前、芦屋の月光百貨店にて、あがた森魚さんのトークライブ開催さる!!!
しかも聞き手は関西NO WAVE界隈の生き字引、フォーエバーレコードの東瀬戸悟さん也👍
こ、こりゃ謎とロマンに満ちた、あの乗物図鑑の誕生秘話がもれなく訊けちゃうのではないか…

 

思えば1980年代初め、テクノやNWの情報を雑誌で漁ってると度々出てきた“vanity records”なる謎の自主レーベルの記述。
日本のRough Tradeなんて異名通り、その作品ラインナップはアヤシイ魅力に溢れ、入手したい衝動に駆られまくるもレア盤すぎて市場で見かける事は皆無💧
おそらく当時でも中古盤でマン超えのプレミア価格か付いてたはずですわ。

 

そんなvanityからリリースされた作品群の中に何と何と、あがた森魚さんのお名前が!😲
しかし当時の色んなレコード評なんかを読んでみても、この乗物図鑑と題されたアルバムのサウンドがどうにもイメージ出来なかった… 
赤色エレジーはそれだけ我々には強烈すぎたのです。

 

夢とロマンと想い入れタップリの名盤・乗物図鑑。
ではここからはトークライブで語られた誕生秘話などをザッと👇

◉あの頃、あがたさんは赤色エレジーをどっかで乗り越えるべく突破口を模索していた。
◉vanity recordsを主宰していた阿木譲さんは、その卓越したひらめきと、自身が元歌謡曲歌手だった経験をなぞらえ、フォーク歌手のあがたさんにテクノポップを演らせようとプランを立て打診したと思われる。
◉両者の思惑が合致し、1979年11月15日に東京で第一回目の打ち合わせが行われる。
◉その9日後の11月24日から25日にかけて大阪のスタジオ・サウンドクリエイションにてレコーディング。
◉仕上がりの問題などで24日録音分は結局使われず、実質は25日にたった1日で歌入れやミックスダウンまで終わらせてアルバム1枚をほぼ完成させ、翌年の4月に発売に漕ぎつける。
◉その後、もうちょっと自分なりに納得のいくサウンドなりバンドコンセプトで演ってみようと思い立って結成したのがヴァージンVS

 

大分かいつまんで記しましたが、これだけでも何故あの作品が生まれたのかがよくおわかり頂けるかと思います。

そうそう、今回のトークライブには特別ゲストとして乗物図鑑の録音にドラマーとして参加した元ウルトラビデのTaiquiさんまで駆けつけてくださるサプライズがありました。
このアルバムは、他にもアーントサリーのPhew、SSのしのやん、INUの北田昌宏さんなど、あの当時のトンがっていた方々が多数参加しているドえらい作品なんですよ〜ホンマに。

 

さて最後にもうひとつ、あがたさんから語られたこんな知られざるエピソードを。
ヴァージンVSは1981年にキティレコードからメジャーデビューしましたが、何とバンドの企画過程に於いて、あのジャパンレコードと契約する話しも進んでいたのだとか😲
それこそRough Tradeの国内ディストリビュートを行っていたジャパンからもしデビューしていたなら果たしてどんなサウンドになっていたのだろうか…
あぁ〜ロマンは尽きませぬ😉

 

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横山ホットブラザーズ 初代テーマ曲のナゾを解け!

横山ホットブラザーズ

言わずと知れた、関西の音曲漫才兄弟トリオ。

実はこのユニット名に改称してからだと今年が70周年の記念イヤーだったんです。

そんな節目の年ではありますが、残念ながら次男のマコトさんが4月22日に永眠され、メンバーでご存命なのは三男のセツオさんお一人だけとなってしまいました...

横山ホットブラザーズといえば、ステージに出てきた際に毎回テーマ曲を演奏してましたよねー。
しかも2曲ありました、初代と2代目が。

でね、その初代のテーマ曲...
みなさん、歌詞って覚えておられますか?
いや、仮に覚えてても、途中で早口すぎて聴き取れない箇所があって、未だにそこだけナゾに思ってたりしませんか?

少なくとも私はそうです(笑)
じゃあ、ちょっと書いてみますね、歌詞を。

「♪歌って笑ってリズムショー、

 ???????リズムショー、

 陽気に愉快に仲良く奏でる、

 ホットブラザーズ」

と、こんな感じです。
???の部分以外はバッチリ覚えてます。

で、問題は???の部分ですわ。
これね、私は子供の頃からず〜っと気になってました。 
でもどうにもわからない🤔
これまでにお会いした他の芸人さんや松竹の元スタッフさん等にも尋ねてみた事があるんですが、誰もが皆しらんわ...と。
スマホでググってもまあ出てきません。

動画サイトに横山ホットブラザーズの初代テーマ曲演奏シーンが、いくつか投稿されてるんですが、それを繰り返し何度観ても全然、いや絶対にわからないんです。早口やわ〜、ホンマ...💧

だったらこれはもう、メンバーご本人に直接お会いして尋ねてみるしかない...
で、先日意を決してセツオさんの経営するカラオケBarに行ってきたんです。

セツオさんは、当時のステージでは長男次男より控え目な印象でしたが、お店で時折披露してくださるパフォーマンスを直に観させて頂くと、めちゃくちゃスゴい! 芸達者! だからお客さんも多い!

で、肝心な不明歌詞についてですが、バッチリわかりました。
???の部分は、

「楽しくふざけるリズムショー」が正解でした!

画像を観ながら当てはめてみると確かにそう言ってますね。
いやぁ~、長年のナゾが解けた。
うん、スッキリした。

ちなみに作詞作曲したのは次男のマコトさんで、
氏には絶対音感があり、演奏力や作曲力に優れ、芸人にならなかったら人気音楽家になってたかも知れないくらいのスゴい方だったらしい。

もひとつちなみに、途中から2代目テーマ曲に変えた理由は当時の風潮として音曲漫才のテーマはスローでわかりやすい曲ばかりだったから右にならえしたとの事。
実はこれには元歌があって、親父さんが在籍していた頃にリリースした、“日本列島うかれ節”という曲のアレンジなんだとか。

うわぁ〜、めっちゃ長い文章になってもた💦
果たしてこんな話しに共感してくださる方っているんやろか...??

まあええわ。
じゃあ最後に、実は初代テーマ曲にはステージを降りる前に演奏するエンディングバージョンもあったんです。
ではその歌詞をしたためて、この投稿を締めたいと思います。
ご一読頂き、マコトにおおきに〜🙇

「♪歌って笑ってリズムショー、

 楽しくふざけるリズムショー、

 時間が来ましたこれにておしまい、
 
 ホットブラザーズ」

https://youtu.be/UkZlXzQrqBM

#横山ホットブラザーズ #横山セツオ

 


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セブン12話をピープロ鷺巣社長と鑑賞した日

円谷プロの最高傑作に挙げる方も多い “ウルトラセブン

もう今では広く知られる事となりましたが、実はこの作品には現在では絶対に公開の出来ない“封印”されてしまった放送回が1本あるんです。

そして今日2022年12月17日は、そのウルトラセブン第12話"遊星より愛をこめて"の初放送から55周年の記念日となります。

丁度いい機会なんで、ちょっとこれにまつわる思い出話しを書きます。
少々ぶったまげた内容なので、もし読んで気にさわられる方がおられましたなら何卒ご勘弁の程を...🙇

1983年だったかなぁ…
当時そのセブン12話に関する同人誌を作られた方がおられましてね、それで是非購入をさせて頂こうとコンタクトを取った際に、その方が所有されていた12話本編の流出ビデオテープを無理をお願いしてお借りした訳なんです。
で、あまり長くも借りておけないし、自分でもその映像を所有しておきたかったので、どこかダビングをしてくれる所がないか考えたんです。
結果、私にはあの場所しか思い浮かびませんでした。

“ビデオショップ・ピープロ

マグマ大使などを作ったピー・プロダクションが、映像作品の企画制作と並行して荻窪にオープンさせたビデオソフトの販売店が当時ありましてね、あの鷺巣社長と奥様がいつも店頭におられて接客をされてた訳なんです。

ビデオショップなら店内にデッキが2台や3台はありますからね、ダビングなんて簡単です。
ただ、こんな厚かましいお願いを鷺巣社長がオッケーしてくださるかどうかだけが問題でした。
まして他社の作品だし...笑😅

でも、若干の手数料を支払っただけで快く引き受けてくださり、しかもダビング中は一緒に座って作品を観てもくださいました。
まあ世界広しと云えど、セブン12話をピープロの鷺巣社長と一緒に鑑賞したのは私くらいではなかろうかと...😉

鷺巣社長はこの12話のゴタゴタの事は全くご存知ないようでしたが、セブンのタイトルバックのシーンでひと言、

「ウチのライバルの作品だね。」

そうおっしゃったのが今でも頭からずっと離れないですねぇ...

以上、今しかないと思って勢いで書いた、若気の至りの時効話しでした🙇💧

#ウルトラセブン第12話 #遊星より愛をこめて #鷺巣富雄

 


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やっぱりアイドルよね!

キャプテン単独名義でのフルアルバムが、結成40年目で初のリリース!”

ダウンロード販売で覆い尽くされそうな現代の音楽市場…
それでも私たちアラカン世代はCDというパッケージでの音楽鑑賞にこだわり続けたく思うのです💿

2022年初秋…
CDの制作が減少の一途を辿るこの時代に颯爽と我々の下に届けられた、愛しのキャプテンの結成40周年記念作品“Captain40♡”!!

その中身はと云えば、正に大人による大人のための歌謡曲🎶
メンバー自らの手による歌詞で構成された14の楽曲。その中には人生の応援歌あり、バースデーソングあり、誰もが経験してきたであろう甘酸っぱい恋の歌あり…
アルバムタイトル曲の“Captain 40♡”では自分たちがキャプテンであり続ける事の決意表明と、苦しい事や悲しい事があっても元気出して一緒に乗り越えようとの大切なファンに向けての熱いエールも…💪

そして何と云ってもアルバムのハイライトは、ゲストに松本伊代さんを迎えての3人の掛け合いボーカルが嬉しい、奇跡の昭和アイドルオマージュソング、“やっぱりアイドルよね"!
あの頃とは逆の、キャプテンwith松本伊代って趣きの楽曲に仕上がってます。

しかしながら生き馬の目を抜く芸能界の中で、40年経った今も仲良しでいられるこの3人の関係性って一体… 
ホントお三方のお人柄が偲ばれます👍

更にこのアルバムにはもうひとつ重要な曲が収められています。

“愛する貴方のために”

松本伊代withキャプテンでの活動が多忙を極めていた頃、仕事終わりに原宿駅の改札を出た柱の影で終電が来るまで二人して夢や苦悩を語り合っていた遠い日の想い出…
そしてあれから40年が経ち、今お互いがお互いに伝えたいこと…
歌詞にはそんな二人のこれまでの長い道のりやこれからの願いがギュッと詰められており、云わばこの曲はキャプテン版の“浅草キッド”なのではないでしょうか✨✨✨

今後、このアルバムをひっさげて、これまで以上に活発にライブが開催される事でしょう。

ええ、ええ、駆けつけますとも!
ミニスカートとハイヒールが世界一似合うお二人に逢いにねっ!!🥰

#キャプテン


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哀しき友情に心打たれた日…

今から46年も前ですが、"マチャアキのガンバレ9時まで"っていうバラエティ番組がありましてね、私、その番組が大好きで、放送音声を毎回カセットテープに録音するくらいハマってたんです。

でも何だか突然に番組が最終回を迎えちゃいまして…😢 

で、放送終了時に後番組の予告が流れた訳なんですが、それが伝説の刑事ドラマ、"俺たちの勲章"だったんです。

確かにジーパン刑事(太陽にほえろ)と熱血先生(われら青春)の共演は興奮モノでしたが、マチャアキを失った心の痛みはとてもそんなので癒されるものではないと…

せめて何か新しいバラエティ番組やってくれよと…

でも、いざ始まって観てみたら、今度はこっちにズボっとハマっちゃいまして…(笑)

このドラマの最終話とかも凄く感動的で印象に残ってはいるんてすが、何といっても神回と言えば第12話の"海を撃った日"ではないでしょうか👍️

その回を簡単に説明しますと、ふたりの刑事と護送中の犯人とが、ヒットマンに命を狙われながらも助け合ってピンチを脱し、そしていつしか友情が芽生えていくも最後は哀しい結末に…といったストーリー。

のちに、もっとあぶない刑事の最終回でもリメイクされたほどの秀作なんですよー。

当時、本放送を観てて心から感動しましたもん😂

この回で犯人、矢野博役を演じたのは、我らが"小野進也"さん!✨✨✨

日本の俳優で、男前すぎるほど男前だなぁって思うのは、三浦友和さんとか真田広之さんとか川崎麻世さん…

でも甘いマスクなだけじゃなく、ワイルドさも内包してて心底カッコええ~と思うのは、我々世代だとやっぱ小野進也さんなんですよね😆

幸運な事に、この神回について小野さんに直接お話しを伺う機会に恵まれましたので、私の質問に対する小野さんの回答を以下にザッと記しておきます🙌

Q:この回についての想い…って何かありますか?

A:「色んな人から"海を撃った日"が好きだったってよく訊くんだよね。確かに印象には残ってますよ。監督は東宝映画の出目昌伸さん、脚本は鎌田敏夫さんだしね。」

Q:ロケ地は群馬ですか?

A:「ええ、電車のシーンは、わたらせ渓谷鐵道。あれ登りと下りを行ったり来たりして撮ったんじゃなかったかな。カメラの配置を上手く変えながらね。砂丘みたいな場所を降りてくるシーンは栃木の足尾銅山ですね。むかし足尾鉱毒事件があった所ですよ。」

Q:交番の留置場でオカリナを吹くシーンがありますが、あれは実際に吹いてらっしゃるんですか?

A:「実際に自分で吹いてますよ、ちゃんと。アフレコじゃなく全部同録でしたからね。交番から逃げ出すシーンは群馬ロケだったかどうか覚えてないなぁ。」

Q:川で怪我した右足の指を洗うシーンがありますが、以前"ワイルド7"の撮影中にアクシデントでバイクに挟まれて足の指が欠損したって伺いましたが、左足の方ですか?

A:「いや、右足の指ですよ。血まみれだし映像ではわかりにくかったんじゃないかな。」

Q:群馬ロケの思い出って何かありますか?

A:「確か一泊二日のロケでね、夜に松田優作さんたちとマージャンしたなぁ。優作さんはまだ覚えたてでね(笑) 全ての撮影が終わったあと、中村雅俊さんも含めて東京の青山で打ち上げをやったのも覚えてますよ。」

Q:共演者の方々について何か思い出はありますか?

A:「バスで拳銃を渡してくるおばさん役の花原照子さんとか、交番に助けにくる仲間役の花房徹さんとか当時舞台をしっかりやってらっしゃった方々でね。二見忠男さん、市村昌治さん、粟津號さんなんかも色んな作品に出られてましたよね。」

Q:路線バスのシーン、あれは貸し切っての撮影ですか? ロケ地はやはり群馬ですか?

A:「いえいえ、架空の路線ですよ。バスは借りたやつで、ロケは東京郊外…確か町田です。トラックの荷台で銃撃されるシーンも実は群馬ではなく町田の造成地で撮ったはずです。」

Q:何か他に撮影時のエピソードはありますか?

A:「優作さんとの対峙シーンは結構アドリブでやってましたね、台本通りではなくてね。お互い間合いみたいなものがあって、息を合わせながらね。」

どうですこのマル秘エピソードの数々!❇️

この回のファンの方々にはかなり喜んで頂けたのではないでしょうか、私も含めて😂

では最後に私の望みを書きます。

是非この"海を撃った日"を劇場映画化して頂きたい!

そして監督はもちろん小野進也さんで!!🙏

その小野進也さんが企画された舞台があの"島田陽子"さん主演で11月12日(金)と13日(土)に新宿スターフィールドにて上演されます。

詳しくは、劇場案内tel07028117744まで🙇

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“ポプリ以上スキューバ未満”の伊達男

 

スターリン遠藤ミチロウ氏が現在闘病中であるとの事…

病に打ち勝ち、私達の前であの息を呑むようなライブパフォーマンスをまた再び見せて頂きたい!

今はゆっくり治療に努められ、一日も早く回復される事を祈るのみです。

ミチロウ氏がスターリンとは別に、カセットブックという新形態でソロプロジェクトを始動させた1984年当時、その存在感たるや正に飛ぶ鳥を落とす勢いの如くでした✨✨✨

そんなミチロウ氏率いるザ・スターリンと唯一渡り合ったバンドがいた…って事をご存知でしょうか?

そう、そのバンドこそ我らがP-MODELなのです❗️

この年の6月3日、横浜国立大学で行われた最初で最後のP-MODELスターリンのジョイントライブ…

スターリンの前に登場したP-MODELに向かって観客から容赦なく浴びせられる“帰れ”コールに、

「じゃ、さよなら。」と本当にステージを降りてしまう4人のメンバー…

中断の後、何とスターリンコールよりP-MODELコールの方が大きくなり、戻って来た平沢氏が観客たちに問いかける…

P-MODELを聴きたい人~?」

「ウォ~!」

もうこの頃にはイカつい皮ジャンパンクスとて、P-MODELが欲しくて欲しくてしょうがない気分になってたって寸法です(笑)

このライブの事で今では語り草になっているのが、ステージに押し寄せる荒ぶるパンクスたちに弾いていたベースをぶん投げて対抗したとされる、

P-MODELの二代目ベーシスト、

菊池達也”氏のはっちゃけぶり!!!

ご本人は、別に普通に置いただけだと否定されてたりするのですが、テンションの上がり切った状況ゆえ、実際ホントの所はナゾです…

でもこの時のP-MODELの一連の行動が話題を呼び、次の新宿ロフトでのライブから驚異的に観客動員が伸びていったという記録が残っており、そういう意味ではこのライブでの菊池氏のパフォーマンスはバンドを救う、非常に有意義なコトではなかったのかな…と✨👌✨

 

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菊池達也氏は1963年7月30日東京都港区生まれ。

P-MODELのライブに初めて登場した時は驚く事にまだ高校2年生であったという…

早熟にも中2で初めてバンドを組み、何とそのバンド名が“ハイウェイ・スター”!

いやいや、これって絶対ディープ・パープルのコピーバンドですやん笑

実際はさておき、そんな少年時代のお遊びバンドの事なんて…と侮るなかれ、一緒に組んだメンバーの中には何と現あぶらだこのドラマー、“伊藤健一”氏もいたのだそうな…😲

菊池氏がP-MODELに在籍していたのは1980年11月21日から1984年8月5日まで。

その間には、正式メンバーになる前にレコーディングが始まった“ポプリ”、正式加入後の“パースペクティブ”&“アナザーゲーム”、脱退前からレコーディングが進行していた“スキューバ”の計4作品のアルバム制作が行われており、一般的にはパースペクティブとアナザーゲームにのみ関わったとされているのですが、実はポプリに収録の“いまわし電話”ではコーラスに参加していて、ジャケ写のアウトテイクには菊池氏が写ってるモノまで残っているのです。

 

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最後のスキューバのレコーディングにも当初は参加し、何曲かはベースパートの録音を終えていたそうなんですが、脱退が決まった為にそれらは後に平沢氏による演奏に差し替えられたとの事。

 

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P-MODELを辞めた後の消息は今まであまり知られていませんでしたが、大学に通いながら前述の伊藤健一氏が当時組んでたバンド、“SIN”のレコードのプロデュース、そして自ら結成した、“スポッツ”というバンドでのライブ活動も行っており、地方から観に来るお客さんもいたりして結構人気を博していたらしい…😏

 

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“SIN”のレコード(ソノシート)は現在でも東京三軒茶屋のレコードショップ、“Fujiyama”で入手可能!🙆

(数に限りあり☝️)

 

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そういえば、遠藤ミチロウ氏が編集発行していたソノシート付マガジン、“ING'O”の幻に終わった第6号には“スポッツ”のソノシートが付く予定とのアナウンスが当時あったはず…

未確認ながらこれがその菊池氏のバンドだった可能性もあるワケなんです😱

大学卒業後音楽活動は休止し、会社勤めを経験した後に出版会社を立ち上げ、書籍や自らのレーベルからCDをリリースしたり、イベンターとして海外から“ジェームス・チャンス”らを招聘してツアーを組んだりと、正に八面六臂の大活躍!

またそれが縁でフリクションの“レック”と親交が出来、現在もそれは続いているのだそうです🍻

菊池氏の会社から出版された書籍の一部がこれ↓😉

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T.REXフリクションハービー山口! 鋤田正義!

スゴいメンツです😆

そんな訳で、菊池氏がP-MODELを脱退した1984年は、例のスターリンとのライブバトルがあり、レコ倫と揉めて発売延期を重ねたアナザーゲームがようやく日の目を見たり、初めてプロデュース業に携わったり、新たなバンドをスタートさせたり…と、菊池氏にとっては激動の年であったと思うのですが、

実はまだもうひとつ重要な事が…!

菊池氏が残した唯一の自作曲である、

IKARIの“LUCKY TIME”

これがリリースされたのも実はこの年なのです!💃

正確な発売日は今から35年前の2月12日。

名曲の誉れ高いこのLUCKY TIMEですが、なぜかP-MODELの集大成的CDBOXである“太陽系亞種音”にはカップリングの“NO PERSPECTIVE”共々唯一未収録…

理由は全くの不明です。

ああ残念無念…😢

 

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いま思えば、菊池氏が在籍していた頃のP-MODELはその長い歴史の中でも一番実験的で、ピリピリしてて、程よい怖さがあって、意表を突きまくってて、メンバーそれぞれのキャラも立ってて、その全てが唯一無二な存在でした✨

私などは、初代ベーシストの秋山氏が抜けてからP-MODELを聴き出したクチですので、どうしても菊池氏に対する思い入れの方が強いワケなんです。

ホント、ルックスもステージアクションも弾いてたGrecoのベースとかも、みな超カッコよかったですからねぇ…👌

憧れましたよね😊🎶

ただ甚だ残念なのが、P-MODELがもう全くTV等に出なくなった時代のメンバーだったが故、演奏シーンの公式映像がこれっぽっちも残ってないって事😰

う~む、何とかどっかから発掘出来ないものだろうか.....

 

 

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そんな菊池達也氏… いや、ご結婚時に改姓されて現在は佐久間達也氏になられてますが、準備が整ったとして2017年から遂に音楽活動を再開❕❕❕

“ナガオカダイゴロウ”(ex.Dog House Studio)氏とのユニット、

さよなら子供たちオーケストラ”

を始動させ、昨年7月と今年の1月に新作をyoutubeチャンネルに発表🎶

https://youtu.be/46569vHuNuE

 

今後何を目論んでいるのか…

長い眠りの末、我々に一体何を伝えようとしているのか…

しばらくその動向から目が離せない要注意人物である事は間違いないでありましょう…😉🎶

 

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追記

遠藤ミチロウさんは、2019年4月25日に逝去されました。

謹んでお悔やみ申し上げます。

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高座の出囃子は“MOMO色トリック”が一番!

 

ミュージシャン以外でP-MODEL好きを公言した芸能人はおそらくこの方が初だったと思うんですよね。

落語家の、

“立川談之助”氏!

 

先日、落語会の後の打ち上げの場で少々テクノ談義をさせて頂いたのですが、そのお話は非常に興味深く、許可も下さいましたので、印象に残った内容をば、まとめてザッと紹介させて頂こうと思います。

 

「P-MODELは新宿ロフトで良く観た。とにかくカッコよかった。」

「ライブの楽屋におじゃました事もあった。マネージャー的な平沢さんのお兄さんとよく話をした。」

「ディーヴォやYMOも好きだった。YMOはチューブスの前座の厚生年金会館の時に観に行ってる。渡辺香津美は日本で一番上手いギタリストだと思った。」

「高座で着る羽織には自作のP-バッチを付けていた。」

「プラスチックスは業界のプロっぽい人。ヒカシューは演劇人。P-MODELはミュージシャンって感じがした。」

「例のサンプラ事件の時も観に行ってた。」

「昔は自分もバンドをやってて、サイドギターとボーカルを担当してた。都内のライブハウスに結構出てた。」

「シティロードを見てチェックし、他にも色んなライブに行った。ARB、RC、シャネルズとか。」

 

そして極めつけが、このエピソード…

「高座の出囃子は、ピンクの着物を着て出る時は“MOMO色トリック”。

グリーンの着物の時は“スパルタンX”をチョイスしていた笑」

 

師匠、プロレスもお好きだったんだなぁ…😉

 

 

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